奄美を舞台に、暮らしと仕事をつなぐ場所をつくる
菅野審也さんの最初の一歩
こんにちは!ココラボです。
今回お届けする「みんなの一歩」18人目は、東京から奄美大島に移住し、
ライフ&ワークスペース「Living AMAMI」を拠点に、地域の内と外をつなぐ仕組みづくりや、
仕事の可能性を広げる取り組みを続けている菅野 審也(かんの しんや)さんです。
前編では、
東京から奄美大島への移住に至る経緯、そして移住後に芽生えた「違和感」をきっかけに、菅野さんが奄美大島での場づくりを始めるに至ったプロセスをご紹介しました。
後編では、菅野さんの仕事観の形成に影響を及ぼした過去の経験や、Living AMAMIでの実践のなかで何が見えてきたのか。
さらに、菅野さんが大切にしている軸と、これから描いている展望について掘り下げてお届けします。
原点
菅野さんは18歳のとき、仕事でイタリアに3ヶ月滞在し、料理学校のレッスン風景などを撮影する業務を担当しました。これは、菅野さんにとって異国の地で長期間一人で過ごす、初めての経験でした。
幼少期からホームスクーリングで育ち、兄弟は6人。
菅野さんは真ん中で、「先頭に立つ」というより、守られる側にいる時間が長かったと言います。
だからこそ、そのとき初めて、「自分で動く」感覚が芽生えた。
『もともと心配性で、人前でしゃべるのも嫌だし、超人見知りだった。でも動いてみると、面白いかもって。殻を破れた瞬間でした。』
一歩外に出てみたら、人間関係が変わり、人生の「ネタ」が増え、世界が広がっていく。
この経験が、菅野さんの職業観や生き方に影響をもたらし、奄美での場づくりにつながっていきました。
実践の中で見えてきたこと
菅野さんが場づくりを始める場所として最初に思い描いていたのは、奄美大島の中でも、加計呂麻島や南部の港町でした。
『特に好きなのが奄美大島の南部で。加計呂麻島っていう隣の島も含めて、そのあたりのエリアでできたらいいかなと最初は考えていました。』
ただ、「好きだから」で押し切らず、実際に人に会い、地域の空気を確かめたうえで、実現の難易度を見立て直した結果、『街の方たちにヒアリングしていく中で、一旦、奄美の中心部で始めようかなって。』
そうしてできたのが、リアルな場所を持ちつつ、オンラインコミュニティも併設するハイブリッド型の構想でした。
実際に地域で何かを始めるとき、物件の調整や周囲の理解を得るなかでつまずくケースも少なくありません。
ですが菅野さんは、「そこは意外なほどスムーズだった」と振り返ります。
その背景にあったのは移住してすぐに事業を始めたわけではなく、まず普通に暮らす時間があったことでした。
『移住して3年ぐらいは、会社員だったので普通に暮らしてる時期があって。その中で、仕事とは関係のない友達ができました。いざLiving AMAMIを始める際に,その友達たちが応援してくれたのは大きかった。』
普通に暮らしていた時間が、場を始めるときの信頼の下地になっていたのかもしれません。
そんなふうに始まったLiving AMAMI。
平日はコワーキングのように使える。
けれど、それだけで完結させない。
菅野さんたちは、そこを「ライフ&ワークスペース」と呼び、仕事だけでなく暮らしに関わることも含めて受け止める場所として設計しています。
『コワーキングだけじゃない機能も持たせて、あらゆることをやる。ライフに関わること、ワークに関わることは何でもやるっていう。』
Living AMAMIは、地域の中と外をつなぐ交流拠点としての役割も担っていくようになりました。
Living AMAMIを動かす中で、菅野さんは少しずつ手応えも得られるようになってきました。
『もちろん、最初からこれだけで生計をたてられると見込んでいたわけではありません。今も複業で色々と仕事を掛け持ちしながら続けている状況です。』
長い目線でやっていく前提。
利用者がすぐに増えないことも想定の範囲内。
その一方で、場づくりを進めていくうちに「企画して丁寧に届ければ、ちゃんと届く人がいる」という実感も得られるようになっていました。
さらに、Living AMAMIが「地域の交流拠点」として機能し始めたことで、出会いにも変化が生まれていきました。
島の内外から人が集まり、偶然のつながりが少しずつ増えていく。
その中で、出会いが一度きりで終わらない場面も生まれるようになりました。
『出会いをきっかけに、そこから何か新しいプロジェクトを共創する、一緒に活動する仲間に出会える場になればいいなと思っていたんです。』
実際に、会員やこの場をきっかけに生まれたつながりが、新しい事業やプロジェクトの立ち上げへと広がっていきました。
こうしてLiving AMAMIは、人が集まる「交流拠点」であると同時に、何かが生まれる「共創拠点」としても機能していくようになりました。

大切にしていること
菅野さんは、「奄美を変えるぞ」といった大きな目標を掲げていたわけではありません。
むしろその逆でした。
『奄美を変えるぞみたいなことは思ってなくて。自分があったらいいなとか、少なくとも自分の周りで
これがあったらいいなって言ってくれる人たちを応援したい。』
と菅野さんは言います。
「自分が欲しいと思ったもの」や、「身近な人の声」に耳を傾けながら、それを形にしていく。
その積み重ねの先に、結果として地域全体が少し良くなっていく。
そんなあり方を大切にしていました。
もう一つ、インタビュー中に強く語られていたのが「仕事」という観点です。
自然や景色に惹かれて地域に関わる人も多い一方で、菅野さんは「働く先として面白いかどうか」が地域の未来を左右すると考えています。
『面白い仕事があるから帰ってくる、奄美に行くっていう人をどんどん増やしたい。』
島外にいながらでも島内の仕事に関わることで、地域との距離はぐっと近づきます。
『まずは外にいながら島の仕事に関わってもらう。そうすると「じゃあ今度行きますね」という会話が生まれて、実際に来てくれる機会も増えていくかもしれない。そういうきっかけを作っていきたい。』
展望——「ここで働きたい」から始まる奄美を増やす
『働く先として面白いっていう場所に奄美自体がなっていくと、活気のあふれた人たちが出てくると思うので…そこを作りたいなっていうのが最近一番の思いです。』
『Living AMAMIという「拠点」を起点に、「ここがあったからできた」と言える人を増やしていきたい。』
さらに、地域の内側だけに閉じず、同じように場づくりや地域活動をしている人たちとの繋がりも広げていきたいと、今後の想いを語ってくれました。
奄美に向き合うほど、他地域との往復から新しい交流や学びが生まれる。
菅野さんが「面白い」と言うのは、そうした外との接点も含めた“広がり”でした。
終わりに
パートナーの想いをきっかけに始まった菅野さんの奄美での物語。
転職や移住、場づくりなど、そこには菅野さんの仕事や生き方、地域について「問い続ける姿勢」があったのではないかと思います。
この記事があなたにとって、背中を押してくれる、一歩進めてくれる、そんな記事になれば幸いです。
(執筆者: 一般社団法人テンラボ 古賀)
