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みんなの一歩 15人目 〜瀬口 康平さん〜【前編】

 

本記事は前編です。後編はこちら

自分はどう在りたいかが場をつくる。

瀬口康平さんと「風と土」の最初の一歩

 

こんにちは!ココラボです。

 

 

今回は「みんなの一歩」の15人目のご紹介です!

 

 

みんなの一歩とは?

 

 

鹿児島県内では、実に多様な人たちが、さまざまな想いや背景を抱えながら、地域での活動に取り組んでいます。
その一歩一歩には、それぞれにしかない物語があります。

 

 

『みんなの一歩』では、

鹿児島県内で地域や社会のために活動している方々にインタビューを行い、「どんな想いで活動しているのか」「その活動を始める“最初の一歩”は何だったのか」を丁寧に紐解いていきます。

 

 

「誰かの最初の一歩を、そっと後押しできたら。」

そんな願いを込めて、このシリーズをスタートしました。

 

 

地域で何かを始めたいと考えているあなたにとって、きっとヒントになる“誰かの一歩”が見つかるはずです。

 

 

きっとあなたの背中を押してくれる、一歩目がここにあります。

 

 

今回ご紹介する15人目の方は、

霧島市隼人町で地域のこどもを支える居場所づくりに挑まれている 瀬口 康平(せぐち こうへい)さんです!

 

 

瀬口さんの最初の一歩に触れながら、どのような経緯・想いで今の活動をされているのか、

紐解き、ご紹介していきたいと思います!

 

 

 

 

 

瀬口 康平さん プロフィール

 

出身:福岡県北九州市(1984年生まれ)

 

 

経歴:高校卒業後、工業関係の仕事に就く。その後、専門学校に入り直し理学療法士に転身(現職)

 

 

現在:長女が生まれるタイミングで霧島市へ移住。

   理学療法士として働きながら、地域で居場所づくりの活動に挑戦。

   2023年「不登校の親の会 スロース」を立ち上げる。翌年、任意団体「風と土」を立ち上げる。

   霧島市隼人町で古民家を借り、地域のこどもを支える居場所づくりを実践中。

 

 

 

 

医療の現場で見つけた“喜び”

 

「もともと人に喜んでもらうのが好きで、医療の世界に飛び込んだんです」

 

 

北九州市の製鉄所が並ぶ工業の町で育った瀬口さんは、

高校卒業後すぐに工業系の現場で働いていましたが、

単調な作業に取り組む中で、自分の仕事のあり方について改めて考えるようになりました。

 

「やりがい」を求め転職先を探している中、親が医療関係者であったことから、

医療関係の仕事に興味を持ち始め、色々と調べていく中で「理学療法士」を目指すようになりました。

 

 

専門学校に入り直し、「困っている人にダイレクトに寄り添いたい」「笑顔にしたい」という思いから理学療法士へ転身しました。

 

 

医療現場で、リハビリを通じて誰かが笑顔を取り戻す瞬間に立ち会うたびに

「これだ」と確信を深めていきました。

 

 

 

 

 

地域の第三の居場所「風と土」

 

そんな瀬口さんは現在、理学療法士として働きながら、

鹿児島県霧島市隼人町で、任意団体「風と土」の運営を行っています。

 

 

地域に暮らす人、訪れる人、そしてこどもたちが交わりあえる、

あたたかな“地域の第三の居場所”を目指し、日々活動されています。

 

 「風と土」(←風と土のインスタグラム)

 

設立:2023年

 

霧島市リノベーションスクールをきっかけに発足。

活動メンバーは約10名。

地域の人々や移住者、教員、社会福祉法人の職員など

多様な背景を持つ人々が、活動に賛同し参加されています。

 

 

 

場所:鹿児島県霧島市隼人町新宮

 

拠点となるのは、鹿児島神宮の参道入り口にある築100年を超える古民家。
この家は、かつて大正噴火で被災した家屋を桜島から霧島に移築したという、特別な背景を持つ建物です。

 

 

瀬口さんはこの歴史ある空き家に出会い、

「こどもをまんなかに、あらゆる垣根を越えたつながりが交わる場所をつくりたい」という想いから、

霧島市主催のリノベーションスクールをきっかけに仲間の方たちとともにプロジェクトを立ち上げました。

 

 

敷地面積は約280坪。

 

 

草木が自由に広がる大きな庭を活かして、

日常的に人が集い、関わり合える“地域の交流拠点”へと変えていこうとしています。

 

 

 

活動内容 

 

毎週金曜日:オープンデイ

      地域の大人やこどもたち、悩みを抱えた保護者も自由に来ることができ、自由に過ごせる場所

 

 

月1〜2回:地域食堂

      こどもたち自身が料理づくりに参加し、作る大変さと食べる喜びを体感できる場

      消費だけで終わらせるのではなく、供給する側の大変さや楽しさに気づくきっかけを提供

 

 

他にも不定期で様々なワークショップ、イベントを実施。

きりたんぽ教室、たこ焼き教室、オリジナルソング作り、しめ縄作り…

 

 

地域に存在する様々な分野の人たちを巻き込み、多様な文化とふれあい、多様な交流の機会を作っています。

 

 

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『風土とは,外からやって来て変化をもたらす“風の人”と     その土地の伝統を引き継いで支えていく“土の人”がつくるもの。こどもをまんなかに、あらゆる垣根を越えた多様なつながりが交わりあうプラットホームに。ともに暮らしを耕し、いのちを育み合う、幸せで豊かな社会を創造しよう。』

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工業系の仕事から、「困っている人に直で寄り添い、支えていきたい」と思い理学療法士に。

 

そして現在は「風と土」を立ち上げ、地域のこどもを支える居場所づくりを実践されている瀬口さん。

 

 

そんな瀬口さんの今につながった“背景”最初の一歩”について、これから触れていきます。

 

 

 

 

身近な経験から始まった“支援の思い”

 

転機は、瀬口さんの家族の経験にありました。

 

 

「長女が小学校1年生のとき、急に不登校になりました。」

 

 

娘さんの姿に戸惑いながらも、思い出されたのは、瀬口さん自身の幼少期の記憶でした。

 


「実は私の弟も不登校だったんです。」

 

 

当時の瀬口さんはまだ小さく、不登校という言葉や状況を深く理解することができず、

弟が「サボってるだけだ」「親に迷惑をかけている」と思い込んでいたそうです。

 

 

ある日には無理やり弟の手を引いて、学校に連れて行ったこともあったそうです。

 

 

「弟の気持ちに寄り添うどころか、傷つけてしまっていた。

 だからなのか、ずっと仲も良くなくて、距離を感じていました。」

 

 

月日が経ち、当時の自分を見つめ直すなかで、

「ひどいことをしてしまっていた」と深く後悔するようになりました。

 

 

時が経ち、弟さんに直接謝罪することができ、ようやく心のわだかまりが溶けていったそうです。

今では関係も回復し、仲の良い兄弟として過ごされています。

 

 

「そんな経験があったからこそ、娘には同じ思いをさせたくなかった」

 

「あの時の弟と、娘が重なって見えた」

 

 

そんな誰かを思う気持ちと後悔が、瀬口さんを動かす原動力になりました。

 

 

 

 

 

“最初の一歩”

 

「正直、心配でした。」

 


娘さんが小学校1年生で不登校になった当時のことを、瀬口さんはそう振り返ります。

 

 

「勉強も遅れてしまうのではないか、友達ができないままになってしまうのではないかとか。

 ちょうどコロナ禍だったので、外に出て人と関われるような機会も少なくて。

 余計に不安が大きくなっていました。」

 

 

そんなときに瀬口さんが出会ったのが、「不登校の親の会」でした。

 

 

当事者同士で語り合い、悩みや不安を共有できる場所。

 

 

「そこで話をしただけで、ものすごく心が軽くなったんです。
 “自分だけじゃない”って思えることが、こんなに大きな救いになるなんて…って。」

 

 

当時、参加していた会は鹿児島市内で開催されていました。

 

 

「こんなに素晴らしい場があるのなら、日常的に参加したい!」

 


そう思った瀬口さんは霧島市で「不登校の親の会」を探してみるも、

なかなかそうした場が見つかりませんでした。

 


「それなら、自分でつくるしかない。」

 


2023年、瀬口さんは霧島市で「不登校の親の会 スロース」を立ち上げます。

 

 

これが、瀬口さんにとっての“最初の一歩”になりました。

 

  

もう一つ、現在の「風と土」の活動につながる大きな転機がありました。

 

 

それは、娘さんが通っていた幼稚園で開催された、

ドキュメンタリー映画『夢見る小学校』の自主上映会に関わったこと。

 


この上映会を通じて、それまで漠然と抱いていた教育に対する固定観念が、大きく揺さぶられたそうです。

 

 

「枠にとらわれない学びや、こどもたちの自主性を大切にする教育に、強く惹かれました。
 “こんな理想的な場所があるんだ!”、“こんな場所が身近にあったらいいのに”って、心の底から自然に思えたんです。」

 

  

そして湧き上がってきたのが、「こんな場所があるなら、作りたい!」という強い思いでした。

 

 

 

 

「風と土」の始まり

 

とはいえ、物件を借りて継続的に居場所を運営していくのは、そう簡単なことではありません。

 


「やりたい」という気持ちはあっても、家賃や設備、管理の負担、

ハードルは高く瀬口さんは長く悶々とした時間を過ごしていました。

 

 

そんな中、

地域のグループホームから場所を貸していただけるお話をもらい、

活動の足がかりを得る機会が訪れます。

 


ところが、コロナ禍だったことや「借りている場所」という制限があったために、

やりたいことを自由に実施するのは、簡単ではありませんでした。

 

 

「やっぱり、自分たちの手でつくって、自分たちの意思で自由に使える居場所が欲しい。」

 


その思いは日に日に大きくなっていきました。

 

 

そんなタイミングで出会ったのが、霧島市が主催していた「リノベーションスクール」でした。 

 

 

 

 

↑リノベーションスクール時の写真

 

 

この取り組みは、市内に点在する空き家や空き店舗などの遊休不動産を、

地域課題の解決や新たな事業創出につなげようとするもので、

地域のプレイヤーと専門家・参加者がチームを組み、短期集中で活用計画を立てる実践型のプログラムです。

 

 

「これだ」と感じた瀬口さんは、すぐに参加を決意。

 

 

瀬口さんの「こどもをまんなかに、あらゆる垣根を越えたつながりが交わる場所をつくりたい」という思いに賛同してくれた仲間と一緒に、プロジェクトを立ち上げ、居場所づくり本格的に乗り出していきます。

 

 

仲間たちが、一歩を踏み出した瀬口さんの背中を、さらに力強く押していきました。

 

 

思いが、少しずつ形となり「風と土」が始まりました。

 

 

 

 

 こうして、瀬口さんの“最初の一歩”は仲間とともにかたちになり、「風と土」が動き始めました。


では、「風と土」がどんな“軸”で育まれ、地域に何を生み出しているのか。

 

続く後編で、その内側をたどります。

 

 

 

 後編はこちら:「風と土」の“軸”と、地域に生まれる変化へ

 

 

 

 

(執筆者: 一般社団法人テンラボ 古賀)